16.「衛星通信の楽しみ(地上局側)」(2016/3/5 JAMSAT シンポジウム 講演資料)                                                              2016/9/6

          旧ホームページから移植したので、不具合、文字抜け等が有りましたらご連絡ください

 


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今日は、JAS-1, 30周年JAS-2, 20周年記念と云うことで、それに合わせたお話が出来ればと思い昔話をさせて頂くことにしました。
私が衛星通信を始めたのが、ちょうど40 前の1976年ですので、

20JAS-2)、30(JAS-1)40年と云う数字が並ぶことになります。

従いまして主に今から40年前から30年前ぐらいまでの間の話をさせて頂きたいと思います。
だいぶ前の話なので、忘れていたり間違って 記憶していたりする事も有るかと思いますの で、気が付いた事が有りましたら途中でも 構ですので声を掛けて頂けると助かります。

それでは、自己紹介を含めて、人工衛星の 始まりから確認しておきたいと思います。

 

 

 

 

 

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1957/10月人類初の人工衛星スプートニクがソビエトから、1958/2月アメリカから人工衛星エクスプローラーが打ち上げられました。
日本では1958/12月に東京タワーが竣工しました。
私がアマチュア無線の従事者免許を取得したのが同じ1958年、JA1CPAを開局したのが19592月で、東京、浅草でした。
写真は、開局当時のもので、湯島に有った電波管理局に持ち込んで「落成検査」を受けま した。
それから2年後の1961/12月にアマチュア衛AO-1がアメリカから打ち上げられ、その後AO-2AO-5と続き、1972年にAO-6で本格的に衛星経由のQSOが始まり、日本からも多数QSOしたようです。

                                           

 

 

 

 

 

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1974年にAO-7が上がり、日本を含む多くの局がQSOしました。
1974
1976年にJAMSATが衛星通信の研修会を数回開催して、その研修を受けると共にJAMSATに入会しました。 
1974
年に「アマチュアの衛星通信」日本AMSAT編が発行されました。
その後、AO-8,AO-10,と上がり、1986年にJAS-1が上がりました。
今日は、私が埼玉県越谷市で衛星通信を始めた1976年から1988年に衛星通信を一時停止するまでの12年間をメインにお話ししたいと思います。


 

 

 

 

 

 

 

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まず、パソコンの無い時代の衛星通信は、衛星が何時何処にくるかが最大の関心事でした。
赤道昇交点時刻とその時の西経をオービット表として、JAMSAT及びモービルハム誌に掲載されていました。
図はAO-6のものです。(AO-7もほとんど同じ軌道だったと思います)
この図とオービット表を使って衛星の位置を知ってQSOをしていました。
私が1976年に衛星通信を始めたのは、このAO-7が最初でした。
AO-6
はビーコンが何とか聞こえる程度でした。

 

 

 




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このオービット表は少し後の1981年のもので、赤道昇交点時刻と、その時の西経の他に衛星が見える時刻と方向が出ていて、かなり使 いやすくなったと思います。
仰角が±7分ならMEL20度ぐらいとか、±10ならMEL60ぐらいとか予測していました。
ただこのオービット表の欠点は、紙に印刷されたものなので、衛星が見える時刻になっても当然報知されず見過ごしてしまうことです。
目覚まし時計を使ったりしていましたがこれも 結構、面倒でした。
そこで作ったのが、次のオスカータイマー(オスカークロック)でした。

 

 




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これがそのタイマーの現物です。
現品を持ってきましたが、まだ動きます。
作ったのは1977年ごろだと思います。
後ろに早送りスイッチが有って、最初の赤道昇交点時刻と西経を合わせます。
日時の経過と共に時間がズレてきますが、その時は時々クロックを加減して合わせていました。
最初は、AO-7に合わせて 114.xxx分で1周して赤道昇交点時刻で0になり、その時の西経も表示されてブザーが鳴ります。
この特徴は、赤道昇交点時刻でブザーが鳴る他に、60分経過したところで次の西経を表示することにより次に日本上空を通過するかどうかをあらかじめ知ることができたことです。
そのほかに、経過時間によって30分なら北極上空を通過したとか、今、EUを通過したとか、60分なら向こう側の赤道を通過したとか、衛星の軌道が想像できたことです。

 これは、単なる数字の一覧表に比べると、衛星が地球の周りを回っている臨場感が有って、衛星を空想の世界から想像の世界にさせてくれた楽しいものでした。
 

内部の様子です。
まだパソコンが無い時代なのでC-MOS IC30個の主にカウンターICで作りました。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 



39才のころ、はんだ付け端子は500か所以上、視力2.0だったので大変と云うより楽しかったですね。
このころは、みなさんがこんなことをやっていました。
今ならパソコンでシミュレーションしてプリント基板にするので、こんなことはしないでしょうし、PICマイコンで有れば2~3個のICで済んでしまいますね。
(うひゃ~と云うドヨメキが少々あり)


 

 

 





AO-7で作ったものを1978年にAO-8が上がって改造した回路図の一部です。
114.946を103.232に変更しています。













トランスポンダとスイッチング電源は、JAMSATが作ってアメリカに送ったと聞いています。
ケースはマグネシゥム合金とかで、削りかすにマッチを付けると燃えたとか、プリント基板の銅箔を金メッキしたら剥がれて絶縁不良になるので剥がすように言われた、とか。
当時のミーティング等で苦心談が聞こえて来たのを覚えています。

1979年にパソコンが発売されて、JAMSATからBASIC軌道計算プログラムが配布されてオービット表が1分単位で計算されるようになったと思います。
しかし、方位、仰角、受信、 送信、SBY、ログ、は手で行い、忙しさは変わりませんでした。
そのためも有って、QSOはSSB主体でした。

 

 




写真の左側にPC-8801が見えます。
衛星通信とは違いますが、PC-8801では外部記憶装置として8インチのフロッピーディスクを使いましたが、PC-8001はカセットテープを外部記憶としていましたので、その信号(1200/2400HzのAFSK)を直接送信機のマイクに入れてパソコン通信をやったりしていました。



 

 






その後、AO-10でループテストした時の音声の遅れは衝撃的でした。電波も時間がかかるのだ~と。
何年か前にイグノーベル賞でおしゃべり防止に使った人が居ましたが、まさにそれでした。
AO-10はあまり調子が良くなかったことと、信号が弱いので10局しかQSOしませんでした。
ただし、オービット表ではその軌道の動きが今までの円軌道と大きく異なり、想像できませんでした。
軌道が、どのようになっているか非常に興味を持ち、パソコン画面に軌道を表示させるようにしました。

 

 




そこで、AO-10の楕円軌道をBASIC軌道計算プログラムに三角関数を使って、ガチャガチャやったら写真のような軌道を描くことができました。
赤道傾斜角が26度だったので、円の中心の日本より南側で逆S字カーブになっているのを見て「地球は自転しているのだ~」、と分かり感激しました。
いまさら!です。



 






当時の軌道を今のCALSAT32に現在のTLEを設定してS字カーブを確認しました。
なおパソコンの時計は1986年(30年前)まで戻りましたが、CALSAT32は戻りませんでしたので2016年2月の軌道です。
これはSカーブですが、前のAO-10のグラフィックは、逆Sカーブです。
よくよく見ると、このグラフィックの軌道を上下を逆にすると、このCALSAT32と一致するようです。
もしかしたら、前のAO-10のグラフィックは逆Sカーブなので間違っていたかも知れません。
TLEは1985年と2016年では多少違うと思いますが、このように上下が逆になるほど違うことは無いと思いますので、1985年のグラフィックが間違っているかも知れません。

 




1976年から1983年ごろまでのログの抜粋です。
1976/7/8が初めての衛星QSOです。
AO-7でJA9BOH,JA1MWT,JG1LDV,JA1TUR,JA1JHF,JA1SYK,等のOM。 AO-8では、JA9BOH,JA1ANG,JA1AFE,等のOMのコールサインが見え
ます。
AO-7は1981年に停波しました。










1986/8/13にJAS-1が上がりました。
写真は、その軌道です。(Az260~Az340/EL45までの薄い線)このJAS-1の軌道は正しいと思います。












JAS-1のログの抜粋です。
打ち上げは、1986/8/13日でしたが、初QSOは22日でした。
打ち上げを待ちに待って、腕まくりして待っていましたので、トランスポンダが起動したらすぐにQSOしたはずなので、衛星の確認のためにトランスポンダの起動は22日だったのではないかと思います。



 




 




1986年には、グラフィックを使ってローテータの方位、仰角のコントロールをしました。
PC-8801には、カセット用リレー接点が一つだけ有ったので、それで方位と仰角をプログラムコントロールしました。










これもBASIC軌道計算プログラムに35行ほど書き加えて作りました。
30秒間に移動する角度の差に比例してローテータのON時間を決めて、方位と仰角を順番にコントロールをしました。
ただし、AOSにローテータの方位Azを一致させておく必要が有りました。
また、途中でずれる場合はスイッチで補正することができます。
これで衛星通信が画期的に楽になりました。
当時のモービルハム誌1987/6月号に掲載されました。
なお、同じころにハムジャーナルNo47にCPU/ADコンバータを使った本格的なローテータコントロール方法が出ていました。

 

 

 

 

 

 

 


回路は、図のように簡単なものです。
プログラムは35行程度のBASICプログラムで、軌道計算プログラムに加えて使っていました。













JAS-1当時、使っていたアンテナです。
ウェーブハンターはモービルハム誌でモニター当選したものです。
28MHzHB9CVは自作です。












1988年当時のログの抜粋。
1988年にHF帯のコンディションが最高になり、アンテナをHF専用にしたために衛星通信は一時停止してしまいました。
このログの次ページからは、ほとんどオーバーシー局です。
衛星通信の再開は、20年後になりました。




 






2008年に栃木県小山市から衛星通信を再開しました。現在の衛星通信設備です。アンテナは全て自作です。
ローテータのコントロールは、最初はPICNICを使いましたが、途中からUSB-FSIOが安かったので使っています。(2000.-程度)なお、アンテナやローテータコントロール等の詳細は私のホームページに記述しています。




 

 





衛星通信は、途中で20年間QRTしていました。
ただしJAMSATの会費は40年前から継続してました。hi

衛星通信は通算して20年間(12年+8年継続中)になり そのデータを示します。
502局、173局は新規の局数です。QSOはSSB/FMがメインです。
1局あたり10回程度QSOしている感じです。


 






これからも衛星通信は続けて行く予定です。
参考資料に「アマチュアの衛星通信」が有りますが、当時購入した初版本がボロボロになったので、amazonで古本を1冊定価の1000.-で購入しましたが、・・・・・。
さらに参考資料に「モービルハム」が有りますが、(株)電波社から「HAM world」と云う雑誌が発売されていて、衛星通信の記事が出ています。

 

ご静聴ありがとうございました。
(事務局からの希望も有り約40分程度に短縮
したために、かなり早口になってしまいました!)
 
                                                    おわり